人生の後半

Latexで数学の問題作成、pythonによるコーディングなどなど

あり得ないほど幸運

マイアミ・マーリンズイチロー選手が古巣のシアトル・マリナーズに戻る。
子供の頃からの夢が実現する人は幸運である。2010年に一度だけシアトルのセイフコ・フィールドに足を運んだことがある。現地の子供達はイチロー選手以外の選手にペンやサイン用の色紙を渡さない。イチロー選手が自分の目の前に現れる保証がないにもかかわらず、イチロー選手が来るのをずっと待っている。イチロー選手の人気を肌で感じた。野球選手に憧れる少年がそのまま野球選手になれる訳ではなく、野球で甲子園に出たからといってプロ野球選手になれる訳ではない。50歳まで現役を目標に掲げているイチロー選手はありえないほど幸運である。

3年前、京大出身初のプロ野球選手である田中英祐選手がマスコミに注目された。田中選手は最近になって三井物産に就職が内定したようである。元プロ野球選手の大手商社への就職は前代未聞である。田中選手もありえないほど幸運である。実は、人間が生きていく上では、田中選手の人生のほうがイチロー選手よりも参考になる。自分がなりたい仕事は一つではなく、最低2つ、できたら3つ以上は考えておく方が良い。これが、自分の将来を決めかねている人への私からのアドバイスである。

京大iPS研究所での論文不正について

京都大は22日、iPS細胞研究所の山水康平(やまみず・こうへい)特定拠点助教(36)の論文に捏造(ねつぞう)と改ざんがあったと発表した(共同通信社)。

この騒動が、山中伸弥教授の辞任問題にまで発展している。

NatureやCellなど一流ジャーナルであっても、内容的に人類に役立つ記事もあれば、興味深いがあまり役立たない記事、眉唾ものの記事など様々である。科学者は賞を狙う傾向にあるが、科学の世界で賞を取れるかどうかなど、運もあれば政治的な力も働く。ノーベル賞候補と騒がれながら、賞を取れないまま終わっていく人も多く、不公平感は否めない。例えば、子供がよく読む偉人伝に必ず出てくる細菌学者の野口英世先生はノーベル賞を受賞していない。「岡崎フラグメント」を発見した岡崎令治氏も、ノーベル賞は受賞していない。「岡崎フラグメント」とはDNAのラギング鎖が複製されるときに生成されるDNAの短い断片のことであり、どの分子生物学の教科書にも記載されているような重要事項である。DNAの複製は、私達の生命の源であり、複雑かつドラマチックな現象である。こういった背景を考えると、このニュースの裏側にある深い闇の部分が読み取れる。iPS樹立という業績はもちろんノーベル賞に値する。しかし、このニュースの記事を読んで私が心配するのは、再生医療の分野は莫大な予算が投入されていながら、その金額に見合うだけの臨床応用の見通しが立っていないのではないかということである。

不定冠詞と定冠詞

日本人は定冠詞と不定冠詞の使い分けが苦手な人が多いように思う。
ある雑誌の記事で、東京農工大学名誉教授の小谷先生が、英語の不定冠詞である「the・a」が日本語の助詞「は・が」に対応していると考察されており、感心しながら読ませて頂いた。

「桃太郎」の英訳で比較してみる。

Every day the man gathered firewood in the mountains and his wife washed clothes in a nearby stream.
「おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました」
この文章では、「the man」が「おじいさんは」と対応しており、「the」は「は」に対応している。

One day, as the old woman was doing her washing, an enormous peach came bobbing downstream.
「おばあさんが川で洗濯をしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました」
この文章では、従属節では、「the old man」は「おばあさんが」に対応しており、主節では、「a peach」と「桃が」が対応している。
この場合でも、主節と従属節を「おばあさんは川で洗濯をしていた」「すると、大きな桃が流れてきました」と分解することにより、「the old man」には本来「おばあさんは」が対応すべきだということに気づく。桃に注目すると、不定冠詞「a」は日本語の助詞「が」に対応している。

他の英文を和訳してみても、この法則はだいたい成り立っているようだ。
そして、所有格代名詞は定冠詞の機能を含んでいる。
そこで、前回記事の続きであるが、人物を特定せずに私の友達と言いたい場合、“my”は定冠詞の意味を併せ持ってしまうので“my”は使えない。すなわち“a friend of mine”という他ない。“a friend”と“the friend”との関係が、“a friend of mine”と“my friend”の関係と考えれば良い。

暗記教科の克服

数学が得意な人の特徴として、暗記教科が苦手というのがある。自分自身のことを思い出しても、数学と物理以外の成績はボロボロであった。古文や漢文などからは、完全に逃避していた。しかし、年を取ると、理系の人こそ歴史や国語を勉強すべきなんじゃないかと思う。

不思議ではあるが、人間の脳は自分が興味あることについては、比較的簡単に記憶できる。私はワインが好きなので、ワインの名前などはすぐに覚えられる。ボルドー5大シャトーがシャトー・マルゴー、シャトー・オーブリオン、・・・などは比較的簡単に頭に入るようだ。

高校に入ると英語が面白いと思うようになり、英語の点数が上がってきた。暗記しようとせず、どうして英語の動詞には不規則動詞と規則動詞があるのかなど、そういうことを考えながら勉強していた。動詞だけではない。不定冠詞aと定冠詞theの違いについて、深く考えたりするのもなかなか面白い。中学生の時に、a friend of mine(私の友達)という語句を習ったと思う。当時、なぜmy friendがだめでa friend of mineが正しいのか、理由が分からないまま先生に言われる通り暗記していた。たまたま、数学セミナー2016年の12月号をパラパラめくっていると、正にその理由が考察されており、自分なりにようやく理解できた。次の機会にその記事を紹介しようと思う。

突然の出来事

平成29年11月3日に私の父が息をひきとった。突然の出来事であった。これは普遍的な法則かどうかは知らないが、私は書くことにより悲しみが和らぐ。おそらく家族は誰も読まないこのブログであるが、20年後、30年後に子らがこのブログを訪れ、少しでも自分の生き方のヒントになればとの思いで、以下の文章を書き残しておく。

喪主の挨拶(主要部分のみ)

1. 本日はお忙しい中父の葬儀に御会葬賜り誠にありがとうございます。遺族を代表しひとこと挨拶申し上げます。
2. 厳しさとやさしさを兼ね備え、細かいことには一切口出しせず、子供に対し勉強しろとはひとことも言わないような父でした。しかし、大事な物事には必ず父の意向が反映され方針が決まってゆく、そのような父親でした。
3. 12年前に父は大きな手術を受けました。腸を切除する手術です。執刀医からは、二つの手術方法が提示されました。簡単に言うと、人工肛門を造設する手術と、自分の肛門を温存する手術です。人工肛門のケアは大変です。西口先生が評判の良い名医であったとこもあり、家族は自分の肛門を温存する方法を希望しました。しかし、父は自分の病気や手術のリスクについて、本を読み、同僚や先輩の医者仲間にも相談し、自分で勉強しました。その結果、より安全な人工肛門を造設する手術方法を選択しました。最先端の医療よりも、長年の月日を経て安全性が確立された医療を大切にする。石橋を叩いて渡る、そんな生き方だったように思います。
4. そのような慎重な父親がこんな形で最期を迎えるとは誰も想像しません。おそらく本人も想像しなかったはずです。父は仕事熱心で自分の体調が悪いときも診療所を休診にすることはありません。患者の命を守るのが医師の仕事です。では、医師自身の命を守るのは誰でしょうか。開業医でも、体調が悪ければ、休診にすることができます。しかし父の考え方は違いました。残された者にできることは、そういう父の生き方に敬意を表することです。
5. 本日はこのようにたくさんの方に見送って頂き、父も喜んでいることでしょう。私達は残されてしまいましたが、残ります私共に対しましても変わらぬ御指導を賜りますようよろしくお願いします。本日は誠にありがとうございました。(ここまで)

愛すべき家族の最期は誰もが避けては通れない道であり、記憶のうすれないうちに私の思いを書き残しておく。

続・自分のやりたい仕事が分からない

もっとも自分の一番やりたい仕事につける人は少数派である。

私の場合、志望校を決める直前までは数学者になりかったので、理学部と医学部の両方を受験した。当時の大学入試の制度はA日程、B日程という制度であったので、国公立のダブル受験とダブル合格が可能であった。ちなみに両方合格であった。そこで再び悩み苦しむことになる。数学者以外だったら、パイロット、ジャーナリスト、犯罪捜査をする刑事などにも憧れた。という意味では、今の仕事は自分が一番やりたかった仕事ではないとも言える。しかし、私は医学部への進学を勧めてくれた両親には感謝している。逆説的ではあるが、一番なりたかった職業に就けることが必ずしも幸せとは言えない。

その理由はいろいろある。例えば、もし自分の仕事が一番やりたかった仕事であったなら、スマホ中毒のように仕事中毒になってしまう。実際、私の大学院時代はプロの研究者達と一緒に仕事をしていたが、朝から深夜まで、1年365日、本当に年中無休で研究している人もいた。これは精神衛生上好ましくない。2番目(もちろん3番目や4番目でもいい)にやりたかった仕事で、健康的な生活を送る人生も悪い選択ではない。