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科学の技法

​ 理系科目の復習・科学リテラシー・政治と科学

ローレンツ収縮

今日は動く物体の長さが縮む理由について考えてみよう。
相対性理論の本を読んだことがある人であれば、ローレンツ収縮(もしくはフィッツジェラルド=ローレンツ収縮)という言葉を知っているであろう。これは、光の速度に近いような速い速度で動く物体の長さが縮むという現象であるが、その現象が起こる理由を理解することは難しい。「図解・わかる相対性理論」を読むと、比較的分かりやすい説明があった。動いている物体の長さの定義を動く物体Xの両端と静止した物体Yの両端が同時に一致したときに、動く物体Xの長さは静止した物体Yの長さ(左端から右端までの距離)と同じ長さであるとする。すなわち、物体Yは物差しのような役割である。Xは左から右に動いている長い物体、たとえば電車の車両などをイメージするとよい。物体Yの真ん中に光源を置き、光源が電車の両端(左端をAと右端をBとする)に到達する時間を同時刻と定義する。そして、光源から出た光が左端Aに到達することを事象A、右端Bに到達することを事象Bとする。静止した物体Yの中にいる人にとって、事象Aと事象Bは同時刻に起こるが、動く物体Xの中にいる人にとっては事象Bが先に起こり、その後に事象Aが起こることが確認できる(同時性の崩れ)。しかし、同一場所での同時性は絶対に崩れない。さらに、静止している人にとっても、動いている人にとっても、事象Aと事象Bが発生した時点でのAB間の距離が物体の長さである。そうかんがえると、動く物体Xの中にいる人から見ると、Xの長さとYの長さの比は、1: √{1-(v/c)^2}(vは物体xの速度、cは光の速度)であるので、静止したときのXの長さは、動いているYの長さより長い。「図解・わかる相対性理論」には分かりやすい計算方法が載っているが、結論として動く物体の長さは縮むことになる。これは、裏返すと、動いている物体の長さが変化しないと仮定すれば、自分自身の体が物体Xの進行方向と平行に拡大していることを意味する。

史上最強の化学兵器

金正男氏がマレーシアの空港で暗殺されて2週間以上が経過した。最近の北朝鮮の常軌を逸した行動は非常に不可解である。マレーシア警察は暗殺にVXガスが使用されたことを確認した。VXガスは粘着性の高い物質であるためサリンより扱いやすく、人類が作り出した最も毒性の強い化学物質である。数秒間顔に塗りつけるだけ人を殺せるとなると、どんな護身術をマスターしても全く意味がない。トランプ大統領は潔癖症で知られており初対面の人とは握手をしないとの報道があったが、これもテロ対策と考えればうなずける話である。アメリカ、日本を始め、192カ国が化学兵器禁止条約に締結しているが、北朝鮮はその条約を締結していない。私の仕事は整形外科の医師であるが、小さな頃から数学者や物理学者への憧れがあり、実は現在も憧れ続けている。純粋に好奇心のみでこのブログを書いている。先日、手術室で雑談中に麻酔科専門医の先生に質問してみた。VXガスで襲われた患者さんが来たら、どうやって救命すればよいですかと。有機リン剤中毒解毒剤であるPAM静注500mgが有効であることが知られている。しかし、この薬剤は一般の病院には常備されていない可能性が高い。または、アトロピンを大量に打つことにより中和することも可能らしい。もしくは、襲われた直後にレスピレーター(人工呼吸器)に乗せると、救命できる可能性は高いとのことであった。

続・光の速度

光はニュートン古典力学から考えると、不可解ともいえる性質も持っている。不可解の最たるものは、光の速度が一定であるという性質である。光速がなぜ一定なのかは私はうまくは説明できないが、光は真空の空間(絶対的な無の空間)の中であっても、問題なく伝わっていく。この点は、音が空気という媒体を必要とするのとは異なる。真空空間にとっては物体の速度そのものが意味を成さないというイメージを、私は持っている。人間や惑星も含めたあらゆる物質が存在しない広大な真空空間をイメージし、その真空空間の中を秒速100kmで走っている物体を想像してほしい。想像を膨らますと、高速で動いているその物体は完全に静止していると思うこともできる。したがって、光源から遠ざかっていく人からみても、光源に近づいていく人からみても、光の速度は一定である。新幹線に乗っている人から見ても、新幹線の横で静止している人からみても、全く同じ速度なのだ。これはわれわれの直観に反している。なぜなら、時速200kmで走っている新幹線の中の人から見ると、時速300kmで新幹線と同じ方向に動く物体は時速100kmで動いているように見えるが、静止している人からはその物体は時速300kmで動いているように見える。光速に関しては、その常識が通用しない。新幹線の中の人、静止している人、または自動車を運転している人、その他すべての人からみて、光の速度は秒速30万kmである。これが光速不変の法則であり、アインシュタイン相対性理論の大前提である。興味深いことに、この法則は実験的にも証明されている。たとえば、1887年のマイケルソン・モーリーの実験が有名である。興味がある方は「図解・わかる相対性理論」などの書籍を参照してもらうとよいが、ざっくりいうと地球上で観測される光の速度は実際の測定値がすべて一定である。観測者と光源との相対速度は全く関係なかったのである。

光の速度

富士山が肉眼で見える南の限界は和歌山県の妙法山(距離約320km)である。最も単純な光の速度の測り方は、ある山Aの山頂で光源のスイッチを入れて、別の山Bの頂上でそれが確認できた瞬間にBの頂上の光源のスイッチを入れる。Aの山頂にいる人がBの山頂の光が見えた瞬間までの時間を計測するという方法であれば、誰もが思いつくであろう。しかし、この方法はうまく行かない。なぜなら光の速度は秒速30万キロメートルであるため、300km離れた場所にたった千分の一秒で到達してしまうために、そんな実験は不可能である。もちろん現在では衛星を使って地球の裏側と通信できるため、光速(電波も可視光線も実は同じ電磁波である)による時間のズレを感じることができる。そう考えると、1849年にフィゾーが高速回転する歯車と反射平面鏡を使ったかなり巧妙な方法で光の速度が秒速3.15X10^8m/sという数値を得たことは驚くべき精度と考えられる。

続・決定論

私は子供同士の会話の中には入っていかない主義であるが、子供同士の会話は自然に耳に入ってくる。うちの自宅で長男(8歳)が近所の子供と一緒にすごろくをして遊んでいるとき、長男がこんなことを言っていた。「最初に1を一番上にしてさいころを投げると3の目が出るんや」と。これは以前に私が述べた決定論につながる考え方である。部屋全体のすべての空気やその他すべての分子の位置と速度が事前に分かっていたら、スーパーコンピューターなどを使って解析すると、サイコロが手から離れた瞬間に、サイコロの出る目はきまっているはずである。これが決定論の考え方である。しかし、実際はそう簡単ではない。ハイゼンベルク不確定性原理によると、粒子の位置と運動量を同時に決めようとしても不確定性のためにうまくいかないからである。例えば、水素原子の原子核の周りに存在する電子の位置は波動関数で表される。すなわち、人間が電子の居場所を観測するまでは、電子は可能性のあるすべての位置に存在するとこになり、存在している位置が重なり合っていることになる。

続・光の正体は波である

光は波という話は横に置いておこう。皆様は波と聞いて何をイメージするか。光が波と言われても、なかなかイメージが湧かないと思う。波のイメージというのは、例えば、プールに行くと造波プールがあり、普通の人は、波と言えば海やプールの波を想像するであろう。他にはどんな波があるのだろうか。中学生レベルの知識があれば、音が波であることを知っているかもしれない。音は空気を媒質とする縦波である。縦波といいうのは、空気の分子の疎な部分と密な部分が交互に進行方向に移動していくようなイメージだ。媒質が振動する方向と、波の進行方向が平行なのが縦波である。波が進行方向に進んでいるといっても、実際は空気分子が大砲の弾丸のように飛んでいくわけではない。媒質である空気や水はほぼ同じ位置に留まったままであり、振動だけが伝わっていく。ところで、光の媒質は何であろうか?音の媒質は空気であり、プールの波の媒質は水である。昔の人はエーテルという仮想の物質が光の媒質であると仮定した。エーテルは宇宙全体の真空中および透明な物質全体に浸透していなければならない。アインシュタイン相対性理論を学んだ人であれば、エーテルという物質が実在しないことを知っているであろう。ちなみに光は縦波ではなく横波だ。横波とは、媒質が振動する方向と波の進行方向が直角という意味である。

光の正体は波である

光とは太陽や懐中電灯などの光源から出ている何者かであって、人間の網膜で捕らえることができるということは経験的に誰もが知っていると思うが、光の正体とは一体何なのであろうか。光の正体が粒子なのか波なのかという問題については、多くの専門書や一般人向けの本(例えば、「量子力学の解釈問題」)などに詳しく論じられているので今は述べないが、光が波としての性質を兼ね備えていることの理論的な証明は、マックスウェルの業績による部分が大きいであろう。波とは何かというと、振動数(周波数)と振幅をもっており、一定の伝達速度を持っている。昔の人々の実験で、光の伝達速度がだいたい秒速30万キロメートルあることが確認されているが、これは光は瞬間的に伝わっているという我々の日常生活の直観には反しているとも言えよう。例えば、オリオン座のベテルギウスと地球の距離は約642光年であり、いま我々が夜空で眺めているペテルギウスの姿は室町時代の姿ということになる。